「万人の興味を引く話題」とは何でしょうか。そう問われると、私に限らず多くの人は「食に関するもの」を想起するのではないでしょうか。当たり障りのない世間話として、または深く踏み込んだ人生観を語るよすがとして、人口に膾炙している様子が見受けられます。
そして、それは現実世界のみならず、物語世界に於いても言えることのようです。物語世界の食べ物は、演出を通して鑑賞者に「何か」を強く訴えてきます。そして、その「何か」について追究したのが本書となります。
内容まとめ
本書では、物語のなかに登場する「食べ物」の役割、小道具としての「食べ物」の役割を、50ものシチュエーションに分けて解説しています。著者はそうした食べ物の扱いから読み取れる現象を総称して「フード理論」と名付けました。
食に関するエピソードって、多かれ少なかれ、万人がそれなりのものを持っているんじゃないでしょうか。そういうところに目を付けたのは著者の卓見ですね。そしてその洞察力は評論にも活かされているように感じられました。そのおかげか自分としては見覚えのないシチュエーションでも「そんなのがあるんだ!」と素直に感銘を受けながら楽しめました。
フード理論のフード三原則
- 善人は、フードをおいしそうに食べる
- 正体不明者は、フードを食べない
- 悪人は、フードを粗末に扱う
ゴロツキはいつも食卓を襲う
本書の中心的なテーマである「演出上の食べ物が担う役割」。その主題を端的に表現した場面。あえて家族の団らんに乱入し、食卓を無茶苦茶にするゴロツキ。借金取りか、地上げ屋か。シーンの切り取り方が秀逸ですね。なんの作品と具体的にはパッと出てこないけれど、すごく見覚えのある場面です。
家族の食卓。心のこもった手料理。その絆のアイコンを台無しにされることによって引き起こされる憤りは、殴る蹴るといった単なる暴力よりも被害としては軽微であるにもかかわらず、そうした暴力と同等もしくはそれ以上に強いものを喚起させられます。と同時に、用意された食事の内容やそれを目の前にした家族の会話などから、主人公たちの置かれた状況を無理なく表現し、物語の分岐点として機能する作用が期待されるのです。それは鑑賞者を物語世界へ引き込み、登場人物に感情移入させるテクニックです。しかし、それが作為であっても、そのシーンから引き起こされる感情は本物なのです。そうしたテクニックに自覚的になることで、はじめて見えてくるものもあるように思われます。
感想
文学において「食生活」をテーマに据えた作品や評論は数多くあります。しかし本書が特別ユニークなのは「食に関する場面」を「人物設定を読み解くカギ」として扱っているところでしょう。大胆な論考なのに、その一つ一つの内容には丁寧な積み重ねがあり、説得力がありました。しかも数ページという短めの分量で一つの論考がしっかりまとまっています。こんな面白い論考が50個も読めるのは贅沢ですよ。また、まるで映画の一場面を切り取ってきたかのようなオノ・ナツメの瀟洒な挿絵が本書の良さを際立たせていました。イラストのおかげでシーンの情景が浮かび、論考と良い相乗効果を生んでいます。
私事で恐縮ですが、自分はとても食い意地の張った人間です。かといってグルメというほどでもなく、困ったことに、ただ目の前の食べ物を無為に食い散らかす「貪食」の人間なのです。それを幼い頃に自覚したことは、その後の自分の人格形成にも多大なる影響をもたらしたと思います。
幼い頃、親や親戚の人に「鬼食いをするな!」とよく怒られたものです。「鬼食い」とは私の地元の方言で、食べ物を独り占めすることを指します。きょうだいで分け合うためにプッチンプリンを買ってたのに、知らぬ間に私が一人で全部食べちゃってたりとかして。「みんなの分を残しといてね」というのが出来ない子どもだったんです。そんな風によく叱られていた幼い頃の私は、誰にも邪魔されずにケーキを丸々ワンホール食べてみたいなぁというささやかな夢を持っていました。誕生日といえども許されないぐらい「鬼食い」とは悪いことだったんですよ。