創作と探求の友

「読書」と「物語の執筆」を豊かにする本を紹介するブログです。

読書巷談 縦横無尽  とっておきの50冊

 かつて、その確かな批評眼と明晰な文章力で、世の文筆家に恐れられた文芸評論家がいました。それが谷沢栄一と向井敏です。彼らの書評は文壇や学会の風向きなどにおもねる所が一切なく、くだらない言辞には舌鋒鋭く批判を浴びせかけ、その徹底的な容赦の無さから、世の文筆家たちからは畏怖されるような存在でした。

 そんな共通項の多い両人ですが、実は学生時代には同人仲間として読書会を開いて切磋琢磨する仲だったのだとか。硬派な評論家としてならす彼らが腰を据えて語り合った書評対談が、今回取り上げる『読書巷談 縦横無尽』です。こちらには、1979年から80年にかけて行われた対談が収録されています。ひたすら自分が惚れ込んだ本について語るので、終始語り口の熱量が高いままです。ずっと読んでいても飽きない面白さがありました。それぞれが気心の知れた間柄ということもあってか、話が弾んでいる様子が読者にも伝わってきますね。

 

内容紹介

『ウソかマコトか 文章の芸』

 ただただ読んで楽しいというエッセイを取り扱った段。エッセイは面白ければその内容がでっち上げであろうがなかろうが構わないという主張は痛快です。大正以来、文壇では雑文というジャンルが特別視されていたようですが、その極致は佐藤春夫の『退屈読本』であるという意見が両者で一致していました。たしかにこの本はなんともいえない凄味があり、今から読んでも面白いと思います。そしてその伝統は丸谷才一のエッセイに受け継がれているとのこと。丸谷才一は小説家ですが、個人的にはエッセイや評論とか対談の方がずっと面白い感じがあります。エッセイはかなり軽んじられる傾向にあるのが残念です。洒落た文体には詩情が宿ると私も確信しています。

取り上げた本……『男のポケット』丸谷才一、『川釣り』井伏鱒二、『最後の晩餐』開高健、『本の神話学』山口昌夫

『警句のアンソロジー

 気の利いた言い回しを収集した警句集についての段。ここでは谷沢が「今の我々には、こうした名言に感心したということが非常に照れくさい」と苦言を呈しています。しかし、一周回って現在では、そういう衒いが良くも悪くも世の中からすっかり消え失せた感じがあります。それにしても、ここでの両者のラ・ロシュフコーに対する評価がやたらと高いのが印象的でした。私は読んだことが無かったので、できれば早いうちに読んでみようと思います。

取り上げた本……『お楽しみはこれからだ』和田誠、『作家の手帳』サマセット・モーム、『悪魔の辞典アンブローズ・ビアス、『箴言と考察』ラ・ロシュフコー

『歌ごよみ』

 日本の詩歌についての段。漢詩も和歌も現代詩も、すべて一緒くたに「詩歌」として取り扱ってしまう彼らの見識の深さには恐れ入るばかりです。日本の古典の面白さを知るには、安東次男の本を読むのが一番、それにはこの『花づとめ』から入門するのが安定しているとのこと。それから現代の「詩歌」というのなら歌謡曲のような大衆文化も無視できない、という主張も腑に落ちるものでした。これは令和の現在に置き換えて読むと何に置き換えられるでしょうか。現代の歌謡曲ということで、ボカロになるのでしょうか。しかし「大衆文化」の要素はあまり感じられませんね。それも含めて現代っぽい感じはあるんですけども。

取り上げた本……『花づとめ』安東次男、『我が愛する詩人の伝記』室生犀星、『日曜日は歌謡日』和田誠

『風俗誌としてのミステリ』

 主に海外のミステリー小説について語った段。私はミステリーは専らドラマで見る派なので、あまり食指が動く予感がしませんでしたが、意外にも興味深い段に感じられました。特に全十巻に及ぶストックホルム警視庁における警察ミステリである『マルティン・ベック・シリーズ』は、あの洒落たエッセイストである青木雨彦の「マルティン・ベックは人生というものを知りつくした男だ」という賛辞が紹介されていたのがとても気になっています。しかし、興味はあるものの続刊ものは手を出しにくい感じがありますね~。ラノベならともかく一般小説で何巻もあるのを読み通すのはしんどいです。面白い本を書く人が「面白い!」と評価する本であっても、面白くないやつは普通に面白くない、なんてことはよくある話ですからね。

取り上げた本……『マルティン・ベック・シリーズ』マイ・シューバル、ペール・ヴァルー、『87分署シリーズ』エド・マクベイン、『ハーレム・クライム・ストーリーズ』チェスター・ハイムズ、『リュー・アーチャー・シリーズ』ロス・マクドナルド

『スパイ小説の仕組み』

 ミステリ小説の中でも取分けスパイを題材にした小説の段。この対談が行われた当時は冷戦の真っ只中ということもあり、世相を考慮して意図的に設えられたのかもしれませんね。しかし、スパイの情報戦は、生々しい時代背景があってこその魅力であると両者は喝破しています。こうしたジャンルは風化が避けられない宿命であるという予言は少なからず当たっているように思われてなりません。そうしたなかでも、題材ではなく登場人物の内面に着目した『別れを告げに来た男』のような心理型のスパイ小説はずっと残るだろうと評しています。

取り上げた本……『別れを告げに来た男』ブライアン・フリードマン、『スパイになりたかったスパイ』ジョージ・ミケシュ、『スターリン暗殺計画』檜山良昭、『暗号名イントレピッド』ウィリアム・スティーブンスン

『SFの限界』

 国内外のSF小説について語った段。両者によれば、SF小説作家には「人間性への突っ込みが浅い」「初期に傑作が多い」などといった傾向が見られると言います。さらに人間性に対する問題については、これは各々の作家の力量不足などではなく、SFというジャンル自体が抱える限界なのではないかという議論がありました。この意見には、私は強い反発を覚えました。ちょっと的外れな感じがします。しかし、当時にしてみれば、SFは歴史の浅いジャンルだったので、この程度だろうと見くびられるのは仕方のないことかもしれません。そこを未来の視点から批判しても不毛なことです。でもSFの全盛期ってこのぐらいの時期だったような……。SF小説人間性の考察や物語の構成というよりも、新奇な発想というか「センス・オブ・ワンダー」を何よりも重んじる楽しみ方が適当であるような気がします。その反面、星新一ショートショートに対する評価はとても高いのが印象的でした。

取り上げた本……『コップ一杯の戦争』小松左京、『巡視船二二〇五年』光瀬龍、『人間の手がまだ触れない』ロバート・シェクリイ、『あなたに似た人』ロアルド・ダール、『作品一〇〇』星新一

人間学入門としての文学』

 人間の本性や人生の真実を描いた小説についての段。そもそも小説というものは、こうした人生のモデルを取り扱うのが本筋であるという観点から、人間観察を主眼においた小説を見ていく内容となっています。数ある小説家のなかでも、山本周五郎サマセット・モームは、そういう読み方を作家の方から強制してくるような書き手なのだそうです。というより、山本周五郎は、人間観察によって得た「人生観」こそが中心でありストーリーはそれを読者に伝えるための「補助線」に過ぎないというモームの書き方を手本として小説を書いていたようです。これはかなり評論的な手法だと思います。山本周五郎サマセット・モームの作品を全部読んでみたくなりました。

取り上げた本……『青べか物語』『季節のない街』山本周五郎、『この世の果て』サマセット・モーム

『自伝の魅力』

 自らの手で著した評伝についての段。自伝の面白さとは、まずは書かれた対象である人間の生活遍歴の面白さと、それを回顧している肉声の語り口の面白さとが、うまい具合にオーバーラップして響きあうことにあるジャンルなのだそうです。そのため自伝は成功した場合と失敗した場合の落差が極端なジャンルなのだとか。個人的には、自伝にはエッセイの面白さとも相通じるものがあるように感じます。

取り上げた本……『鞍馬天狗のおじさんは嵐寛寿郎/竹中労、『蝸牛庵訪問記』小林勇、『ちょっとピンぼけ』ロバート・キャパ、『モロッコ紀行』山田吉彦

『思想と人間』

 丸ごとE・H・カーカール・マルクス』ただ一冊のためだけに割いた段。石上良平の翻訳における生き生きとした文体もかなり評価されていて、この本は本書中では「天来の名著」という最高級の賛美嘆称が送られています。しかし、共産主義的な理想像が無残な破滅を迎えた現在では、共産主義の生みの親であるマルクスを顧みようとする機運が乏しい感じがあります。しかし食わず嫌いは良くないと思い、私は本書を読んでみました。それで、この本ではマルクス思想に対する冷静な批判も展開されているため、令和の現代にも十二分に通用する強度を有しているという風に感じました。というよりもマルクスという人物の人となりを辿るだけでもかなり面白い本です。私としては、身近にいたら真っ先に嫌いになりそうなタイプの男のように感じられましたが……。人間味があると言い換えることはできるのでしょうけども、限度ってものがありますよね。

取り上げた本……『カール・マルクスE・H・カー

『生物社会と人間社会』

 生物学について語った段。専門書なのに詩的な文体であることが特徴的なローレンツと、徹底した観察主義者で感情をそぎ落した文体が特徴的な今西錦司という、対照的な2名が取り上げられています。この段では、生物社会を語ることで人間社会にも言える教訓を導くことができるかもしれない、という主張がありました。これは本当のことだと思います。たとえば、よく働くのが2割、普通なのが6割、まったく働かないのが2割という「働きアリの法則」は、人間集団にも多かれ少なかれ当てはまる真実であるように私には思われます。

取り上げた本……『攻撃』コンラート・ローレンツ、『私の進化論』今西錦司

『政治の生理』

 政治を題材とした文章を取り扱う段。「政治の生理」というキーワードは、理屈だけでは動かない独特な有機的性質を持つ政治の世界を言い表したものになります。ここでは特に「革命論」について、無類の出来栄えを誇る本が取り上げられていますね。政治が絡むと、権力が絡むと、人間はどうしてこうもダメダメになってしまうのか。SNSが発達してからは、残念ながらその腐朽をよく目にするようになりました。偽りなく優秀で誠実だった人間でさえも、往々にしてその魔の手から逃れられないのは不思議な話です。ちなみに、オーウェルの翻訳には「ハズレ」があるので選ぶ際にはよくよく注意しないといけないとのことでした。

取り上げた本……『共産主義的人間』林達夫、『動物農場ジョージ・オーウェル

『同時代史の歩み』

 現代風俗の社会評論を取り扱った段。この当時は「つい昨日のことは歴史にはならない」という常識があったのでしょうね。しかし現在では、過去のあらゆる物事について沿革を語ることが手風となっている感じがあります。近年は「2010年代の何々」といった十年史という狭い範囲で情報をまとめた書籍をよく見かけます。現代史の研究手法が進歩しているということなのでしょうかね。今となっては、先行研究であることを割り切ったような、真相の追究を後世に託すような書き方も珍しくありません。考えてみれば当然なのですが「いま現在」もいつかは歴史となってゆくのですね。

取り上げた本……『オンリー・イエスタデイ』フレデリック・ルイス・アレン、『おんりい・いえすたでい60’s』山崎正和

『歴史を視る目』

 日本を深く理解するための書籍について語った段。戦後の日本人が、日本やアジアについて本当のことを理解するためには、よほどの勉強が必要だと言われているのだそうです。これは現代でも変わらないどころか、その傾向はいっそう強まっている感じすらあります。日本人は、そのままの状態ではその理解の妨げとなる「呪縛」からどうしても抜け出せないというのです。その対抗策として谷沢は、反対意見はあるだろうが偏見を申せば、という前置きをしながらも「日本という国を知るためには、まずは司馬遼太郎の本を読むのが一番だ」と語っています。そして歴史を読むということは、読者に人間としての覚悟を要請させる部分がある主張します。そうした本は、自ずと世界の残酷な真実に目覚めさせるような作用を持つそうです。ということは、人間性を成熟させるためには歴史を学ぶことは避けて通れない道ということが言えそうですよね。

取り上げた本……『江戸時代』大石慎三郎、『日本史から見た日本人』渡部昇一、『歴史の発見』木村尚三郎、『中国史宮崎市定、『人間の集団について』司馬遼太郎

『ニュー・ジャーナリズムと文学』

 ニュー・ジャーナリズムに分類される本について語った段。今となっては聞きなれない言葉です。「ニュー・ジャーナリズム」とは、取材対象の懐に潜り込むことで客観性よりもその対象を深堀りすることに重きを置いたスタイルを指すのだそうです。そうした本が広く長く読まれ続けるためには、結局は読者を引き込む文章力が不可欠になります。そのため、この分野はだんだんと文学になっていくのではないかという展望がここでは語られていました。現在においてニュー・ジャーナリズムが文学になれたのかどうかの判断は私には難しいところですが、少なくともジャーナリズムに対する人々からの注目度は昔よりも上がったと思います。近年では、ノンフィクションの分野からベストセラー作家が誕生することも少なくありません。むしろ今となっては、小説よりも多くの読者に恵まれている感じすらあります。こう感じるのは私だけでしょうか。

取り上げた本……『ベスト&ブライテスト』デイヴィッド・ハルバースタム、『日本共産党の研究』立花隆

『楽しみとしての読書』

 読書案内という体裁の書籍についての段。戦後日本では、教養のための読書論が幅を利かせていました。そうしたなか、モームの『読書案内』には、楽しみに重きを置いた内容本位の読書論が展開されているという衝撃があったようです。そこには、退屈なところは飛ばし読みにすることを推奨するなど、今なお実践的な教えが見受けられます。しかし、えてして西洋の評論には主観的な見方や論述を嫌う傾向があり、啓蒙的で常識的で、読み物の面白さとしては隔靴掻痒の感がいまひとつあるという主張が本書では述べられていました。また、書店で配布される「解説目録」も本に触れるきっかけとして見逃せないものになります。本の解説に芸を尽くすことを競い合っていた者たちの戦いは、書き手にとってすごく勉強になるのだとか。現代では書店に置いていない分も、少しの面倒で手に入れるのが簡単になりました。ホームページからそうした目録の送付を依頼したり、そのままPDFデータとしてダウンロード出来たりしますからね。

取り上げた本……『読書案内』サマセット・モーム、『本とつきあう法』中野重治、『岩波文庫解説目録』岩波書店、『知的生活の方法』渡部昇一、『深夜の散歩』中村真一郎福永武彦丸谷才一

感想

 以上、軽くあらましを辿るだけでも、両者の圧巻の守備範囲が窺えます。また本書では、大々的に取り上げた上記の本の他にも、比較対象としてだったり、同著者の別作品だったり、同系列の別の著者の本だったりと、様々な書名が押し合いへし合い登場します。目まぐるしい知識の濁流に飲み込まれるような怒涛の展開には圧倒されます。そのなかには、今では絶版となってしまっているような本も少なくありません。

 本書のあとがきにて向井敏が述べているのですが、この博覧強記たる両者の思考原理のすべてがこの本には洗いざらい出ているとのことです。その後の仕事のほとんどは、本書の内容の補訂や敷衍、総論に対する各論に留まるのではないだろうかという記述もありました。そのため、両者の著書に興味のある人は、この本から入門するのが最適ではないかと思います。それにしても、「対談」なのに「本で読んで面白い」というのはなかなか興味深いことだと思います。